経営に役立つ伊達政宗の名言
~故きを温ねて新しきを知る~
1987年の大河ドラマ「独眼竜政宗」は、平均視聴率39.7パーセントで、歴代1位の記録をいまだに保っています。地方の大名ながら、その人気は全国的なのではないでしょうか。
伊達政宗は、仙台藩62万石を一代で築き、繁栄に導いた優れた経営者でもありました。その名言は、現代の企業経営にも通じるものが数多くあります。いくつか紹介しましょう。
①「大事の義は人に談合せず、一心に究めたるがよし」
大切なことは他の人の意見に流されず、自分で必死に考え抜いて決断したほうがよいということです。そうすることで責任と自信をもつことができ、覚悟をもって難事に当たることができます。
②「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」
大切な顧客の対応を従業員任せにしてトラブルになっては大変です。心のこもった「おもてなし」をして顧客に喜んでもらえるように、リーダー自ら率先して態勢を整備することが大事です。
③「物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず」
1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常(ヒヤリ・ハット)が存在する。「ハインリッヒの法則」と同じ意味です。細かいことにも目を配り、細部にまで気を配ることが大切であるということを示しています。
④「若者は勇猛に頼り、壮年は相手の強弱を測って戦う」
若いうちは体力に物を言わせて勇猛果敢に戦います。年を取ったら経験や知識が増えるので相手の出方や反応に合わせて戦うようになります。自分が置かれている状況に応じて行動することが大切なのです。
⑤「まともでない人間の相手をまともにすることはない」
理不尽な要求や誹謗中傷などにいちいち取り合っていては自分の大切な時間や労力を無駄にしてしまいます。正面から批判したり戦ったりせず静観してやり過ごす方が賢明という意味でもあります。
⑥「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる。礼に過ぐれば諂(へつらい)となる。智に過ぐれば嘘を吐く。信に過ぐれば損をする」
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という意味です。儒教の「五常(仁、義、礼、智、信)」をもとにしています。
他人に対する愛情や優しさ(仁)が過ぎると、自分も相手も弱くなってしまう。
正しい行いを守ること(義)が過ぎると、融通が利かなくなってしまう。
規範を守ること(礼)が過ぎると、相手の気に入るようにふるまい従順を装うようになってしまう。
道理や知識(智)が過ぎると、ずる賢くなり嘘をつくようになってしまう。
誠実さ(信)が過ぎれば、だまされたり裏切られたりして損をしてしまう。
儒教で言う「中庸」、つまり過不足なくバランスがとれていることが大事という意味でもあります。
⑦「気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし」
気負うことなく無理をせずに、節約に励んで散財しないようにすべきということです。そもそもこの世には客として招かれていると考えれば、客として礼節をわきまえなければなりません。そうすれば節約による不自由があっても苦にならないと考えられるわけです。
⑧「朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ」
従業員には、叱るよりほめることで成長を促すほうがよいということです。また、感謝の気持ちをもつことを忘れないようにするとういう意味も含まれています。
⑨「歴史を読めば最大の敵は外から来ない。不平分子が家を亡ぼすのだ」
不平不満をもった従業員が裏切ったり敵に回ったりすることで、経営を危うくする先例が多いことを意味しています。リーダーは、従業員に目を配り、意見を聞く耳をもつようにしたいものです。
⑩「わからぬ将来のことを心配しているより、まず目前のことをする」
将来の展望を描くことは必要ですが、目の前のやるべきことに集中することも大事です。コツコツと努力して実績を積み重ねていけば、不透明な未来も明るいものへと変えることができるかもしれません。
先人が乱世を生き抜いて培った経験にもとづいた教えは、後世にも響くものとなっています。